Starry Blaze

DragonQuestV > ThemeStory01:あと2年、まだ2年

春。
冬という長い眠りから、あらゆる生物が息を吹き返す再生の季節。

開け放ったテラスに続く窓からは、透き通る青空とどこまでも続く緑が鮮やかで。
やわらかく、温かい陽射しが、ラインハットの王城に降り注いでいる。
その陽射しが作る影の髪を、花香る風が揺らす。

「もうすっかり、習慣ですわね」

優しい声をかけられて、ヘンリーは入口に目をやった。
彼の妻、マリアが午後のお茶の準備を持って広い居間に入ってきた。

彼女が言っている「習慣」とは、ヘンリーが暦絵、つまりカレンダーを食い入るように見つめることを指していた。

「そんなあなたを見ることも」

「習慣にしちまったな。――悪い」

テラスのテーブルセットにトレイを下ろしたマリアに、ヘンリーは苦笑してみせた。
その笑みを見返すマリアは、さも意外そうな顔をしていた。

「どうして謝られるのですか? あなたにとって、あの方はかけがえのない方でしょう? あなたが心を痛められるのも、ご無事をお祈りされているのも当然のことですわ」

しかし、そうだろうか。
それだけなのだろうか。
彼を想う気持ちは、ただ親友を想うだけの気持ちなのだろうか。
昔、マリアを妻として迎える前の、恋い焦がれる気持ちに似た感情を――いや、それ以上の感情を、今、ヘンリーは抱えているような気がしていた。

晴れ渡る空の下、午後のお茶の準備がマリアによって進められている。
結婚当初こそ、女官が進めていたものだが、すぐにマリアは身の回りのことはできるだけ自分でやりたいと言い出した。
奴隷時代の名残か、修道院に身を寄せていたからか、彼女は贅沢な生活というものを好ましく思っていないようだった。

 ――誰かの手を必要としている方が、世界にはまだまだおられます。私は幸いにも自分のことは自らの手で行うことができています。だから、私などに時間を費やすことはありませんから。

聞く者が聞けば、それは解雇するための嫌味に聞こえないでもないかもしれない。
けれど、マリアの言葉には慈悲の念があふれていて。
元々修道女であったこともあって、彼女の言葉は好意的に受け取られた。
本来王族の世話をする女官の数も最低限にまで減らされた。
かといって、それまで召し抱えられていた女官が解雇されたというわけではなく、勤務時間を減らし、その分奉仕作業に取り組んでもらうという形を取っていた。

 ――あれで結構行動力あるんだもんな。おまけに頑固なところもある。

その点が、誰かも持っている一面だということには気付かないフリをする。

ともかく。
そう感じたのは結婚してすぐのことだから、もう8年も前のことになる。
「もう」と取るか「まだ」と取るか。
気持ちの問題だ。
ヘンリーはカレンダーに目を遣る。
この8年、幾度となくこうしてカレンダーに目を向けてきた。
万人が日々の生活の中で見るのとは違った目で。
過ぎゆく年月を惜しむ思いで。

「彼」――イザナが行方不明になって、等しく8年が過ぎようとしていた。
ヘンリーがマリアの新たな一面を見出したのと同じ頃、イザナはその消息を絶ったのだという。
ヘンリーが新婚ほやほやで、暢気に日々を送っていた頃、イザナに何か恐ろしいことが起こっていたのだ。

自分はなんて莫迦だったのだろう、と思わないでいられなかった。
自分が幸せに暮らしていなければイザナが行方不明にならずに済んだ、などとは思ってはいなかったが、そうでも思わなければやっていけなかったのだ。
ラインハットに平和を取り戻した後、互いの目指すもののためにあえて別の道を選んだ。
その時から離れてはいたが、失ったと思ったことはない。
けれど、今回ばかりはそうもいかなかった。
最悪、もう会うことはないのだ。
イザナのことだ、必ず戻ってくると信じてはいる。
信じてはいるけれど――

「父上ー! ご公務終わったんでしょ!? 遊んでー!!」

マリアがお茶にしましょうとヘンリーに声をかけたのと同時に、部屋の重いドアを押し開けてコリンズが飛び込んできた。
中庭で泥遊びでもしていたのだろうか、その顔は泥でまみれていた。

「まぁコリンズ。そんな格好で城内を走ってきたのですか? 皆に迷惑をかけるでしょう。まず身体を綺麗にしてらっしゃい」

「えー!? でも〜! 父上、今日のお仕事が終われば遊んでくれるって言ったもん。約束ぅー!」

「男に二言はないが、母上の言いつけを守らないような奴との約束は守れないな」

「えー!! 父上の嘘つきー!!」

眉を顰めたマリアに、コリンズはすかさず抗議する。
それをヘンリーが揶揄[から]かうようにしてかわす。

ささやかな幸せ、繰り返されてきた日常。
それでもふっと、喪失感に包まれることがある。
そう、それはまさに、今のように。

ブツブツ文句を言いながら、マリアに伴われてコリンズは浴場へ足を向ける。
その後ろ姿を見送り、ヘンリーはマリアの用意した紅茶を一口味わった。

コリンズは可愛いかわいい息子だ。
今年で8歳を迎えた。
8年前の今頃は、ラインハット城内も城下も、新たな命の誕生に誰もが祝い踊っていた。
闇が迫ってくるなどという根拠の無い噂など吹き飛ばしてしまえと言わんばかりに。

そんな折にヘンリーら関係者にのみ伝えられた、グランバニア王イザナと王妃ビアンカの失踪。
それはヘンリーを奈落の底に突き落とすに等しい衝撃を与えた。
それでも廃人にならずにすんだのは、息子コリンズの存在があったからであろう。

マリアの淹れたお茶、遊んでとせがむコリンズ。
自分は確かに幸せだ。
しかし、ふとしたきっかけにイザナのことを想う。
自分に縁ある何もかもが、イザナを連想させ、ヘンリーは喪失感に胸を痛める。

マリアとの結婚生活は8年目を数え、もうまもなく9年目を迎える。
コリンズが8歳の誕生日を迎えたのはつい先日のこと、盛大なパーティーにコリンズは大喜びしていた。

マリアと結婚して8年。
コリンズが生まれて8年。
そして。イザナがいなくなって8年――。
「もう」と取るか、「まだ」と取るか。
イザナとのことに関しては、「もう」とは取りたくなかった。

楽しい時間は早く過ぎていく、逆に苦しい時間は長く感じる。
だから、「まだ」8年しか経っていない。
そう願いたい部分があることもある。

しかし、それだけではないことをヘンリー自身気付いていた。
ヘンリーが拘っているのは、「10年」という時間だった。
まだ8年しか経っていない、10年までまだ2年ある。
そう、思いたいのだ。

10年、それは奴隷としてイザナと共に過ごした日々の長さだ。
奴隷としての思い出は、決してよいものだったとは言えない。
けれど、イザナと過ごしたという点では、ヘンリーにとってどんなものにも代え難い思い出だった。

それほどイザナの存在は大きい。
彼と過ごした記憶は、ヘンリーの最も大きな部分を占めている。

だから。

彼のいない日々が、彼を想うだけの日々が、彼と共に過ごした10年の歳月を凌駕することを恐れていた。

同じような恐怖を数年前にも感じていた。
あれは、ハタチを過ぎようとする頃だった。
奴隷として連れ去られたのが7歳の頃。
それから10年、奴隷として働いた。
イザナと一緒に。
14の時に、イザナなしで生きてきた人生と、彼と共に生きた人生が等しくなって。
それからは、自分の人生の中でイザナと過ごす時間の割合は増していくばかりだった。
けれど、彼が消息を絶って3年、再びイザナのいない時間が、イザナのいる時間を凌駕し始めた。
イザナは自分にとって大事な、大事な存在だ。
自分の大部分を占めていなければ我慢できなかった。
だから、早く戻ってきてくれ――そんな個人的な感情から彼の生還を祈っていた。

けれど時間は無情にも過ぎていって。
ヘンリーは自分に言い聞かせるしかなかった。
物心ついてないような、何もわかっていなかったような頃の時間は問題ではない。
今まで彼と自分は10年も付き合ってきたのだ。
これまでの誰よりも長く。
誰も、この時間を越えることはないはずだ。
それまでには、きっと戻ってくるはずだ。

そう思うようになって、ヘンリーは暦に目を遣る機会が格段に増えた。
習慣だとマリアが微笑って言えるようになるまでに。

「まだ8年――10年には、まだ2年もある……」

1人の時、こうして何度も自分に言い聞かせてきた。
しかし、日1日と問題の日は近づいているわけで。
その日が近くなる程零す溜息の数は多くなる。

「お願いだから、早く帰ってきてくれ、イザナ――」

願いは透明な空に吸い込まれていく。
泣きたくなるような青は、奴隷だったあの頃と変わらない。
イザナが側にいた頃のあの青と。
イザナがいないのに、変わらない――それが哀しい。

涙が零れそうで、唇を噛み締める。
視界がぼやけかけたところで、扉が開く気配を感じ取った。
一瞬前までの自分の心を悟られないように、ぐっと目許を拭う。

「連日の公務でお疲れなのに、コリンズったら。あなたと遊ぶことで頭がいっぱいみたいで、私の話を聞こうとしないわ――あなた? どうなさったの?」

1人戻ってきたマリアが表情を曇らせた。
悟られないようにしたつもりだったのに、どうやらまだ甘かったようだ。

「これから疲れた身体に鞭打ってコリンズの相手をしなきゃならないと思うとな、どうしてもこんな顔になっちまうさ」

無駄だとは思ったが、それでも笑顔で取り繕った。
マリアは、全てを承知した上で、あえて気付かない振りをしてくれる。
だからコリンズにそう言うのに、と哀しげな表情で笑うのだ。

「もうまもなくコリンズが湯殿からあがる頃です。コリンズには、今日は我慢するように――」

「コリンズにも言ったが、男に二言は無いさ。ここしばらく、アイツと遊んでやることもできなかったし、な」

空いたティーカップに紅茶を注ぐ。
マリアがその手で用意した茶菓子は、どれもおいしいものばかり。
こういう時、自分はなんて幸せ者なんだろうと思う。
こんな幸せで、いいのだろうか、いいハズがない。
そう、思ってしまう。
だから己を酷使してしまうのだ。
遊んでくれない、と息子が幸せな不満を漏らすまで。
妻に、いい加減自分を厭ってくださいと心配そうな顔をさせてしまうまで。
そうしないと、申し訳ない気がするから。

「父上ー! 身体洗ってきたから。遊ぼー!!」

バタバタと部屋に飛び込んできたコリンズの後ろには、慌てた様子の女官が付き従っている。
なるほど、確かにコリンズは風呂で身体を清めてきたが、まだ満足にその雫を拭きとってはいないのだ。

「ダメだな。きちんと髪まで乾かさないことには遊ぶに遊べない。これは親分命令だ」

「えー!? そんなこと言って、ホントはオレと遊びたくないだけなんじゃないのかー!? 嘘つきー! 父上の嘘ツキーっ!!」

「ハッ! 誰が遊びたくないって? 今も十分遊んでやってるじゃないか。揶揄[からか]い玩ぶ、これぞ親分の醍醐味」

「む〜〜〜! オレが全然楽しくないんだから、全っ然意味ないじゃんか!!」

文句を言いながらも、それでも大人しく女官に髪を拭かれているのは、コリンズ自身そうしなければヘンリーが遊んでくれないということを十分理解しているからだ。
ああ見えて、コリンズは聡い……方だとヘンリーは思っている。
親の欲目かもしれないが。

「もぅいいだろ! ほらっ父上! キレイになったし、乾きもしたから! あーそーぼーぅ〜〜〜!!」

「まぁ待て。その前にオマエも少し落ち着け。母上が折角淹れてくれたお茶を飲まずに遊ぶわけにはいかないからな」

「え〜〜〜〜!! お茶なんか、父上は公務の合間にも飲めるじゃんか! オレと遊ぶのは今しかできないんだから。は〜や〜くぅ〜〜〜!!」

駄々を捏ねるコリンズなど全く眼中に無いように、ヘンリーは優雅に紅茶を口に運んでみせる。
その仕種が、コリンズの機嫌を更に悪くすると知っていながら。
目に入れても痛くないほどかわいい我が子だから、どうしても揶揄って遊びたくなってしまう。
そこは、ヘンリー自身昔から変わっていない。
大切なヤツだから、自分がそう揶揄えるほど、自分は心を許しているんだと――分かって欲しかったから。

そう、イザナに対してもそうだ。
ことあるごとに親分だ、なんて言ってみせたけれど。
親分が子分に優しくするのは当たり前、親分というものは好きじゃない人間を子分になってしたりしないということを知っていたから。
だから、自分の好意を素直に伝えられない時はこの言葉を使っていたのだ。

イザナ、オマエは今、どこにいる?
オマエに対して使える「親分」て立場は、コリンズには使えないんだぜ?
対等なオマエにしか使えないその言葉、オレはもう8年使ってない。
10年まで、もう2年しか残ってないんだぞ。

焦燥感は、ついついヘンリーに「もう」という言葉を使わせてしまう。
動揺する心を隠すために、ヘンリーは笑うしかなかった。

「ちーちーうーえ〜〜〜!!!!」

それがコリンズには自分を嘲笑っているように見えたのだろう、さらに声を大きくして騒ぎ出した。
と、それと同時に廊下を慌しく駆け回る気配も感じる。

「騒がしいな。何かあったか?」

眉を顰めるヘンリーの様子に、いよいよ遊んでもらえないと思ったのだろうか。
ついにコリンズは近くのものに当たりだした。

「コリンズ! おやめなさい!」

「嫌だ嫌だ!! 父上はオレのことより仕事の方が大事なんだ!」

マリアが嗜める声も、結局は火に油を注ぐようなものになってしまう。

「父上なんて、大っ嫌いだ!!」

終いにはヘンリーに殴りかかってくる始末。
コリンズをここまで自棄にしてしまったのも自分に責任があるか、とヘンリーはそれを甘んじて受けていたのだが。
コリンズの拳が、運悪く鳩尾にクリーンヒットしてしまった。
その昔、魔物相手の戦いを幾つも乗り越えてきたヘンリーではあるが、一戦を退いてもう久しいため、顔を歪めて蹲らなければならなかった。

マリアが慌てて駆け寄ってくるが、苦笑を浮かべて制止させる。
これも自分の落ち度だと。
と、その時。
兵士の1人が部屋に入ってきた。

「も、申し訳ありません。ご団欒中に」

「いや、構わない。で、何かあったか」

「いえ、その――お客様です。お通ししてよろしいでしょうか」

「あぁ。っテてて。まったく、手加減することも覚えろよ、コリンズ」

「嘘つきな父上には言われたくないよっ」

トドメ、とでも言いたいのだろうか。
コリンズはヘンリーの足を思いっきり踏みつけた。
軽い身体でも、思い切り体重をかけられればそれなりに痛いわけで。
さすがに今度は反撃のひとつも繰り出さずにいられなかった。

くすり、と笑みが聞こえたのはその時だった。
そうだ、客が来ていたのだ。
兵はどこの誰だということは告げていなかったが、それでも礼を欠いていたことに違いはない。

「お恥かしいところをお見せしてしまったようだ。申し訳――」

コリンズを睨みながら。
痛みを堪えつつ、切り出したヘンリーの言葉は、最後まで紡がれることは無かった。

「手を焼いているみたいだね、ヘンリー」

ヘンリーの目が、大きく見開かれた。
ヘンリーを睨み返していたコリンズもまた、そんな父の様子に驚きを隠せないでいるようだった。

ヘンリーは、酷くゆっくりとした動作で声の方を振り返った。

そこには、コリンズと同じ年頃と思われる金髪の少年と少女、そして、ヘンリーの記憶の中にいる彼と、寸分違わぬ人物がいた。

「久しぶり、だね。元気だった?」

「まだ」、8年「しか」経っていない。
そう自分に言い聞かせてきた。
「もう」、8年「も」経ったと、そう思ってしまいそうな自分を戒めなければいけなかった。
それが、酷く苦痛だった。

けれど。

彼の笑みは、もうそんな苦痛を感じなくていいのだと教えてくれる。
これまで彼を苦しめてきた柵[しがらみ]を浄化させる。

この8年、彼といた10年ばかり思い出していた。
現実の彼がいないから、記憶の中の彼を想うしかなかった。
もうそんなことをしなくてもいいのだと、目の前の彼の存在が教えてくれている。

「この8年、どこにいたんだよっ」

嬉し涙を流してしまいそうだった。
代わりに拳を強く握った。

「親分に、行き先も……理由も告げないでっ」

唇を噛み締めて、キッと睨みつける。
けれど自分に向けられているのは、記憶の中の彼のものと寸分違わぬ眼差しで。
逆に、さらに目頭を熱くする。

「俺が……俺がどれだけっ……!」

それ以上は、言葉にはならなかった。
嗚咽となった声は吸い込まれていった。
細くて小さい身体――けれど、どこまでも大きくて深い心を持つ彼に。
突然自身に訪れたぬくもりに、ヘンリーは息を詰めた。

「わかってる……わかってるよ。ゴメン、心配かけて。――ありがとう」

自分より一回り小さい彼が抱きしめてくれている。
直に、その存在を確かめられるように。
優しく背中を叩いてくる。

これじゃ、親分と子分の立場が逆じゃないか 何謝ってるんだよ 
――言いたいことがたくさんあって、どれも声にならなかった。
だから、ヘンリーは笑うしかできなくて。

「おかえり、イザナ――」

言えたのは、それだけだった。

視界には、ぽかんとしている幼い子ども達の顔が映った。
背後には、涙ぐんでいるだろうマリアの気配も感じる。
けれど、最も強く感じていたのは、今ここにいる親友の存在と。

「ただいま、ヘンリー」

どこまでも自分を癒してくれる、彼の声だった。





ゲーム中の再会って、かなり淡白であっさりしてますよね。
もっと濃ゆくてもいいんじゃないか、と思ったり。
あ、そういえば。コリンズの一人称って何だったっけ、と思いつつ確認してないんだった。←ォィ

なんだか書いたことある話だな、と思ったら。
サモの方でも同じようなシチュエーションで書いてましたね。